2008年05月15日
陰間ってなんですか。
こんな事があったなんて信じられないですね。
陰間とは江戸時代に宴席で男色を売っていた美少年の総称である。 元々は歌舞伎でまだ舞台に出ていない修行中の少年役者のことを「陰の間」の役者と呼び、売色を専業としていたものが少なくなかったため、陰間が男娼を差す言葉となった。通常13・14歳から20歳前後までが陰間を行う時期である。
陰間茶屋という陰間を芸者のように抱えた居酒屋・料理屋・傾城屋の類は次第に芝居小屋と分かれて、舞台に立たない陰間を抱えるようになっていった。
陰間は男性だけでなく女性をも客に取り、20歳を過ぎると女性も相手にする(ただし20歳を過ぎても男性客を相手にしていた者も少なくない)。町人文化が栄えた当時の性の風習では色道の極みは男色と女色の二道を知ることだとされていたため、同性愛者からだけでなく粋と珍奇を求めて陰間茶屋は多いに栄えた。田沼時代の頃から次第に廃れ、明治維新を経て陰間茶屋は消滅したという。
なお陰間が訛って女性的な男性を指す言葉「オカマ」になったという説がある。
歴史背景
当初歌舞伎は女性が舞台に立つ女歌舞伎が許容されていた。しかしながら彼女たちは売春を兼業していたため、風紀を乱すとして1629年徳川幕府により全ての女芸人が舞台に立つことが禁止されると、元服前の少年による「若衆歌舞伎」が盛んになった(若衆歌舞伎は女歌舞伎が禁止される以前から、後者と並行して人気を博していた)。彼らもまた売色をしていて男女両方を相手にした。1652年に若衆歌舞伎も禁止されると民衆は必死に再開を嘆願したため、幕府は条件をつけて許可した。その条件とは月代を剃った男らしい髪型にすることと演劇を中心として音楽や踊りを控えることであった(これ以降の歌舞伎を「野郎歌舞伎」と呼ぶ)。この後も売色は廃れず、女性役の男性役者である女形にとっては男に抱かれることが必須の修行と考えられるようになった。こうして修行中の女形は「陰間」や「陰子」と呼ばれ、盛んに酒の席に招かれ客に身を売り、舞台に立つようになると「舞台子」と呼ばれた。
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